https://mainichi.jp/articles/20240723/k00/00m/050/181000c
第69回全国高校軟式野球選手権大阪大会は25日に開幕する。5校でつくる連合チームで枚岡樟風と大商学園以外の泉尾工、鶴見商、PL学園の3校は1、2年生がおらず、この大会を最後にいったん休部する。中でもPL学園は大阪勢として唯一、全国の頂点に立っている強豪校だ。女子部員1人を含む3人の3年生は「悔いの残らない大会にしたい」と意気込んでいる。
胸に「PL GAKUEN」のユニホームと「PL」の文字をかたどったマークの帽子は、甲子園で一時代を築いた硬式野球部と変わらない。1967年創部の軟式野球部は、春夏の甲子園で7回優勝した硬式ほどではないにしろ、89年の全国選手権に初出場で準優勝。2001年は大阪勢として唯一の全国制覇を成し遂げるなど、選手権で大阪勢最多となる11回の出場回数を積み重ねてきた。
軟式野球部OBで1986年に監督となりチームを強豪へと育て上げた斉藤大仁さん(63)は「かつてはPLで硬式がやりたいと中学から入ってくる子もいたが、人数制限があった。そこから軟式に来る子もいてレベルは高く、1学年15人ぐらいはいた。ただ将来、野球で生活ができるわけではない。勉強第一で人としての教育をした」。硬式部員が見下す雰囲気を感じたこともあったが、軟式部員が学校行事を仕切ったりしていると次第に理解を得られるようになり、「(プロで活躍した)清原和博選手らと同期の軟式の主将からは、清原君から打撃の相談を受けアドバイスをしていたと聞いた」と振り返る。
◆全校生徒数の減少に伴い部員減
硬式が2016年に休部し、軟式は翌年の全国大会に11回目の出場を果たしたものの、以降は大阪大会敗退が続く(20年は新型コロナの影響で中止)。全校生徒数の減少に伴い部員も減り、9人が集まらずに秋の公式戦を辞退する年もあった。初めて連合チームに参加したのが現在の部員3人が入部した22年の秋。連合の部長を務める斉藤さんは「(連合で活動するかは)生徒に強制しなかった。彼らもどうするか悩んでいたが、連合には母子家庭だったりアルバイトをしたり、厳しい環境の中でも野球が好きで続けている部員もいて、多くのことを学ばせてもらっている」という。
ただ、今後のPL学園の部員が増える可能性はかなり低い。今春の高校全体の入学者が9人で男子は3人だけ。斉藤さんからバトンを受けて今春就任したOBの右田貫監督(24)が、9人全員に声を掛けたものの「吹奏楽など中学からの部活を続けたい」と2年続けて新入部員はゼロ。右田監督は17年の全国大会を経験したが「当時は3学年で17人ぐらいはいた。部員が少ないことは心配していたし、来年も(入部を)期待はしているが、どうなるか分からない」状況だ。
それだけに、斉藤さんや右田監督は「PLに来てくれた以上、3年生3人には後悔させたくない。軟式野球をやってきて良かったと思えるようサポートしたい」と口をそろえる。
少人数だったことから2年の終わりごろに退部を考えていた藤通伴選手は「斉藤先生や他の2人から『最後まで一緒に頑張ろうよ』と声を掛けてくれて思いとどまった。今は続けていて良かったと思う」。一時期は心が揺れ動いたという鈴木奏斗選手も「縁があって他の学校の人たちとも一緒にプレーできた。他の選手が活躍すると自分もうれしくなる。2年半を振り返ると楽しい気持ちのほうが勝っている」という。
女子部員で公式戦に出られない乾穂春選手は「練習試合を数多く組んでもらった。練習試合は試合のためのものなので、(出場しても)いいのかなという思いもあったが、先輩や同期がいろいろ教えてくれた。感謝です」。大会は記録員かボールパーソンを務める。「ファウルボールを取るためヘッドスライディングした(ボールボーイの)先輩がいたと聞いた。ボールボーイで日本一になるという意気込みだったらしく、自分も与えられた場所で精いっぱい頑張りたい」と言葉に力を込める。
連合の主将を務める枚岡樟風の重親(おもそ)健太選手(3年)は「苦手な部分を互いにフォローして高め合ってきた。今回で3校は休部になるが、できたら人数が増えて今以上に楽しくやれたらいいのにと思う」と残念そう。1回戦は26日午前11時半、大阪市住之江区の住之江公園野球場で東海大大阪仰星と対戦する。目指すのは、新チーム結成後まだ経験のない公式戦の勝利だ。【中田博維】
引用元: ・【野球】PL学園、軟式野球部も休部へ 全国制覇の強豪、部員3人に減り [征夷大将軍★]
不祥事連発して在校生激減
前から学校の存続さえも危なかった
非宗教だから?
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